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あやしく意味不明のダークファンタジー&SF。 一応健全(?)

プロティスタンティズムの陥穽あるいはエチカなき文明としてのアメリカ

プロティスタンティズムの可能性としての、あるいは顕在化してしまった陥穽のひとつが、自己肯定を生みだしてしまう、ということで、その甚だしい場合には、キリスト教のおそらくは根底になければならない「罪認識」を欠いてしまったりさえします

「罪」という言葉を失ったキリスト教は、もはやキリスト教ではありません.説明をはぶきますが、人格神崇拝が偶像崇拝に等しいのと同じように

宗教はしばしば思考停止のベクトルを含みますが、同時に宗教的思考は、いつも完成には至らないという意味で要求としての無限を、いいかえれば常に回答にいたらない…主体を推移させてやまない思考に至る無限を…思考に誠実であろうとすれば…運動のなかにあり…やむことのない運動という意味でも無限、を含んでいて、これを翻せば、「神を理解した」と思うことは思考の死、もしくは一種の傲慢なのでしょう.
ぼくにはいま「信仰」はなく、いいかえれば信仰の名を借りた判断停止に回避しないことを誠実とも思うので、やすらうことと、やすらいえないことのあいだを往復するほかはないのですが、ぼくたちにむかいあうものとしての神は、つねに無限を要求してやまない.
そのような境界をもたない、あるいは概念がつねに推移流動してゆく思考において、回答あるいは肯定はつねに得られない.飛躍すればその肯定が得られないことにも「罪認識」は相互包摂のかたちで含まれてもいるのですが

文化がアイテムに、あるいはコンテンツに細分され消費されてゆくとき…くりかえし生まれだされないとき…それは体系としての文化を喪失してゆく過程である、とするならば、その文化なき文明は衰退崩壊してゆきます.文化は美意識としての倫理を含むはずですから、あたりまえのことですがエチカなき文明は頽廃を避けられないでしょう


いま、アメリカという文化なき文明が自壊と同時の自己再生を、そのプロセスをはじめているのならばよいのですが…


行路社「ホワイトヘッドと文明論」 四章 伊藤重行さん 冒頭

…六月のボストンは美しい.だがその美しさに比して、アメリカのおぞましさのみが目に付く旅でもあった.…ロスアンジェルス(わたしの造語ではロスト・アンジェルス)にも美しさはなかった.アメリカの凋落ははやいと感じた」

「この日いつか滅びん」とか「メネメネテケルウパルシン」を伊藤さんは感じてもいらっしゃったのかも
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テーマ:物書きのひとりごと - ジャンル:小説・文学

  1. 2008/12/12(金) 07:29:50|
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