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あやしく意味不明のダークファンタジー&SF。 一応健全(?)

故きを温めて その1

具象描写への展開が精緻化がおこなわれてゆくとき…その展開の極限値としては、それに対応する事象と等しい情報量を持ちうる…としてみると、言語による認識は、ぼくたちの記述する世界認識に等しいけれど、ぼくたちの身体の持つ感覚、その捉える情報量はつねに言語によって再認識されたそれの情報量を上回る。ならば、その上回るものをどう記述するのか。それは否定辞による論理…~ではない という形での空隙の指示 あるいは ひとつの言葉が 互いに同じではない多事象を指し示すことが出来、象徴として働くこともできる、ということでしょうか

ファイルから再録

なぜか雨の気配です

思考に、どこか空亡した窓…窓というには大きすぎるものがひらいていて、そこを風が吹きぬけてゆくのでした.音の聞こえない風が…というより、思考空間は無音の空間なのですが

結晶体で構成された思考空間は、長い結晶と結晶が柱のようにつながった建築物のようで、でも壁はなくて、思惟というひかりは、その結晶の柱のなかを走りすぎゆききするだけなのかもしれません

それでも、言葉に託された光は、一種の気圏をともなって、そのひかりの弱くおだやかな漂いをその思考構造の内側と周囲に広げてゆきます

それは「思考の雰囲気」あるいは「思考のニュアンス」というべきやわらかな…いいかえれば曖昧でもあるなにかです

でも、テキスト化されない領域への…思考不可能領域への思考の漸近は、ひとつのくりかえし…舞い降りてくるイメージ…想念像を反射鏡あるいは歪むプリズムとして…実体でもある思考の核としてあるいは種子としておこなわなければならないようにも思えるのです

認識は…すべてではないにしても、事象の想念像としてたちあがってきます.ここで言い添えておけば、認識と識別はかさなりあいながら別の領域のものであって、言語はしばしば識別領域にとどまってしまいます

言語の伴う、あるいは揺曳する気圏を重ね合わせ、反響重層あるいは相互照射させてゆくことで、ぼくたちははじめて認識に…抱握的認識に漸近してゆけるのです

再構築は「言語の伴う、あるいは揺曳する気圏」の再確認という知覚によって注意深く行われるべきで、それだけに、思惟の静謐と再結晶の時間…が必要なのかもしれません

時間のかかることもあるのです

あきらめずにがんばりましょう.思考と認識は持久戦でもあるのですから
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  1. 2010/09/12(日) 08:03:26|
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