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あやしく意味不明のダークファンタジー&SF。 一応健全(?)

思惟と想念をゆききしながら、その旋回の運動のうちに回帰ではない推移を…遅々とした歩みであっても上昇と成長を感じられるとするなら、それは樹木が孤立の沈黙のうちにある冬の時期であるのかもしれないと思うようになりました.生命力を蓄えるときは沈黙と遮断のうちにある時間がたしかに必要…こちらの新しい空間に求めるものも、たぶん…まさにそれです

と同時に、嵐のなかにある船は孤立してはならない…とも思えて
戦場にあること…には慣れもしますが、補給なしには…そして戦友なしには、最後の勝利は得られないであろう…とも言えて

こっちもピンチの連続ですが、消耗戦に後退と回避を繰り返していますが、最後には勝利したいものです

哀しみを放棄しないものが勝つ…と老子も言っているのでした


「エポケー」というのは、判断停止、という訳語のもつ幾つかの諸要素の遮断…という印象とは違って、「全体のありのままの肯定」…だったのですね.フッサールすら、前期と後期で認識が推移しているので、こちらはあれれ?と思うのですが

青に尽く魂すらもたないぼくたちに広々とのみ虚無の大空

(↑全然評価してもらえなかった歌の一つ)

ぼくたちの根底とする虚無 ゆえに 憂きことのみを手がかりにする

(なんだか福島さんの短歌に似てきちゃった)

戦場にいるのも、案外慣れてゆけるのかな…とも思いますが、つかのまであっても安息は必要…そしてどのようなかたちでも慰謝のようなものも
(最近のぼくの慰謝は「ぐちゅ玉」銃弾からの回避行動中にひとつ口のなかでとけてゆくと、何かが救われてゆく気もして)

たぶん、人為のうちにあるかぎりは「肯定」も「救い」もないのかもしれない…同時に、この世界のひとりとして、ほかのひとりに認識されること…ほかのひとりを認識していると伝えることだけが、ぼくたちを「根底の虚無」から立ちあがらせてくれるようでもある
ぼくたちは、ひとりのまえに…互いにやがて喪われるひとり…として立つことはできるでしょう

そして、冬の樹木のようであっても、感覚は開かれなければならないから.内側へ外在へ、閉じることなく
冬の銀杏の幹に耳を押し当てると、水の流れるおとが聞こえるのです

あのね…疲労は思考の深度をあざやかなくらいに奪ってゆくことを最近さらに実感
まず深く受容してから思考を思惟をたちあげないと、思考は「反応あるいは情報処理」の水準にとどまって拡散し、断片のまま連結せず、遡及検証できないものになってしまいます

ユダヤの人たちが鋭い思索をおこなえた背景には、安息の厳守があったとか

音楽や美術に放心すること、こっちにはずっと不足してたみたいです

ひとりだと寂しいけど、国立博物館を彷徨ってこようかな
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テーマ:物書きのひとりごと - ジャンル:小説・文学

  1. 2008/01/13(日) 09:23:12|
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