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あやしく意味不明のダークファンタジー&SF。 一応健全(?)

たぶん最大の誤解のひとつ

瞑想について、たぶん未経験のかたは誤解しているのだと思うし、経験されたかたも深度がそこまでいたりにくいものなので、そこの手前でとどまっている場合も多いでしょう…ですから、そこで充分とも言えるので、ひとに話すをためらってきたのですが、こちらの経験では、静寂と沈静の先に出会うのは殆ど不可視であるほどの濃い闇と、「魔」です.そこに「魔」のうごめいている「魔境」です

かろうじて、おそらく反応としてそこまでいたらず、脱自の空白の恍惚へ逃れ出るのも、ひとのこころとしては当然の防御反応ですが、そこにとどまっている限り、神でも仏でも呼称はなんでもよいのですけれど、ぼくたちに「聖なる存在」とその働きかけは必要ではないではありませんか.もちろん瞑想のうちに「聖なるもの」を想念として思い描くありかたを否定はしないのですけれど、それは祈りとしては夢想の祈りです.あるいはある種の幸福な眠りです

瞑想がある深度を超えたとき、そこで出会うのはあざやかに可視である闇と、神無き「魔境」です
恐怖を超えた恐怖です

だからこそ、ほとんど恐怖のために、そこからの救いを求めざるをえず、神を呼び、仏を呼ぶのです
そこではじめて、裸形であり無力でもあるぼくたちは「祈り」と出会うのです…祈りであり、悲鳴でもあるもの

もし唯一、その魔境に「聖なるもの」の介入があるとすれば、ぼくたちを「祈り」に導くその構造がそれではないかと

この「神無き」ようにも見え「魔なるもの」暴力と悪意だけは偏在しているようにも見える世界に生きていること
そこで幼子が求めるように庇護のやすらぎを求めること.それが「祈り」でもあり、この世界を変容させてゆくことのできる、かよわくもたのむべき「力」のひとつです

あとひとつの「力」とはなにか…というのは機会をあらためて…というより、まだよくわかっていないのですが

あと「清浄境」で一種の恍惚体験としての「見神」にいたる自然の中での歩行、というのもありますよね.風景に人為を含まなく見えるような場所での長いお散歩ののちにあらわれるような

それはまた別の種類の…でも根源はおそらくは同一の…体験なのでしょうか
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テーマ:物書きのひとりごと - ジャンル:小説・文学

  1. 2008/03/16(日) 06:34:39|
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